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しばらく中国にいると、たいていの事には驚かなくなる。
数々の旅行記、本などにとんでもないことが書いてあっても、ま、中国ならあるかも…とつい思ってしまう。マルコ・ポーロも、中国を見たこともない外野から、「百万のマルコ殿」なんて言われてさぞ悔しかったことだろう(マルコ・ポーロは中国まで辿り着かなかったって説まであるらしい)。
列車の連結部分に連れてきた山羊を飼ってたのを見た(くさかった…。)、とか、おぢさんが足の下の箱をあけると、センザンコウが「ごはんちょうだい?」と出てきたり(かわいかった)とか、動物関係のビックリには事欠かないし、自分の結婚式に蛇のスープを食べさせられた女(それは私)とか、最初のデートで彼女に「何たべたい?」って聞いたら
「あたし~ネズミがいい~♪」
といわれて逆上した男の子の話とか、食べ物関係のヘンな話にも事欠かない。ちなみに、最初のデートでこんな目にあった人はウイグル出身の男の子で、わにの友達である。くだんの女の子はわにが紹介したのだ。ヘンな女を紹介すんな!と後でさんざん怒られたそうだ。そうよそうよ。
上海は都会なので、あからさまにヘンな事にはぶつからなかったけど、それでも、えっ?と思うようなことはあった。
たとえば、カルフールの買い物カートをそのまま悠々と家まで押して帰ってるおじさんとか。
どうみても100パーセント東洋人なのに、名札に「Angella」って書いてる店員さんとか。
でも、一番すごかったのは空港までのリムジンバスだったかもしれない。
帰国便は朝早かったが、幸い乗り場が近かったので空港バスに乗った。いくつかホテルを回ったあと、いざ浦東空港へ向けて出発か?と思ったら、お客さんの1人が上海語で何やら叫んでいる。と思ったら、バスが突然止まって、彼は脱兎のごとくバスから降りた。
すると、続いて、女の人も何か叫んで、彼の後を追った。なんだなんだ??と思っていると、何と二人は道の反対側の肉まん屋さんで朝ご飯を買っているじゃありませんか…。できたてを手にした二人が運転手さんに1個手渡すと、バスは何事もなかったように発車した。
どこに行っても必ず温かい食事を確保する、彼らの根性に感じ入っていると、しばらくして、バスはあらぬ場所でまた停車した。今度は何だ?と思ったら、何の目印もない中央分離帯の真ん中で、女性がバスを待ってるじゃありませんか。まだ6時にもなってないし、周りに人家もなく、人っ子一人通らない高速道路の真ん中までどうやってきたのか、そっちの方が知りたいわ。制服を着ていたので、きっと空港職員なんだろうけど、毎朝こうして通ってるのだろうか?
謎を残しつつ、今回の旅は終わった。たった3日のことなのに、ずいぶんいろいろあった気がする。同じ時間生きていたのに、たくさん生きたような気がする。だから旅行がやめられないのかも。
上海の旅の記録はここでおしまい。
ご覧くださいまして、ありがとうございました。
謝謝儂 (しゃじゃのん)、皆さん
再会(ぜーうぇー)、上海!
さて今回、私には大変重要なミッションがあった。それは、中国語の「電子辞書」を買ってくることである。
結構高価なもので、日本円で4万円近くする。北京には秋葉原みたいな場所があり、そこで売っていると聞いたが、上海ではどこで売ってるのだろう?H.M.ヴィラの執事に聞いたら、彼は地図を出してきて、優雅に指さした。
「この福州路という通りは書店街です。上海で売っているとしたら、ここですね」
福州路!四馬路(すまろ)か…。
この通りはかつて夜の街で有名だった。また、外滩(バンド)に近い側にはモダン建築が立ち並んでおり、同済大学建築系の留学生が建物を調査するときに、くっついていったことがある。江西中路との交差点には四方にぐるりと同じ建物がたっている。息苦しく不吉な空間だった。
そこを過ぎると、小さな文房具屋やメダル、バッヂ、書籍を扱う店がずらりと並んだところへ出る。もうミッションそっちのけで本を漁り出してしまい、わにに「ねー何しに来たのさ…」と呆れられる始末であった。
目的の電子辞書はすぐに見つかった。専門店もあるし、文具店にもカウンターがある。こんな高価な買い物なのに、事前にちゃんと調べておかなかったのを激しく後悔した。いくつかメーカーがあるのだが、どれがいいのかさっぱりわからない。特約店の人は自分のとこの機種の良いところしか言わないし(そりゃ当然ですね)、いくつか扱っているところの人はそれぞれについてはあまり詳しくない様子だった。
地元の人をつかまえて聞いてみると、普通こういう買い物をするときはネットの掲示板で評判を確かめてみるという。ふーん、日本と同じね。
買いたい機種が決まったので、「上海書城」の売り場で値段交渉を開始する。ちゃんと定価は書いてあるが、そこはダメもとでお願いしてみるのである。
「はっきり言って、これいくらぐらいまで下がります?」
するとカリスマ主婦の近藤さんに良く似たお姉さんはこう言った。
「この売り場は直営店ですから、私はこの機種について、○○○○元までは下げてよいという権限をもらっています。SIMカードも1枚つけましょう。上海では一番安いわよ」
そこでまずはお礼を言い、他の店でも聞いてみる。どうやら、メーカーとの関係が近いほど、安売りが可能らしい。「上海書城」のお姉さんが言ったことはウソではなかった。また売り場に戻るとお姉さんはニッコリして
「ほら、やっぱりそうでしょ?老上海(地元っ子)も辞書なら必ずここに来るのよ」
というと、商品を箱から出しててきぱきと説明を始めた。そして付属品の説明用紙をとりだして点検を始めたがチッと舌打ちをした。
「やっぱり部品が足りない…。チェックしないと絶対何か足りない。本当にいい加減なんだから」
そして、見本品の箱から、足りない付属品を取り出して足してくれた。
電子辞書自体は10センチ×15センチくらいしかないのに、ラジカセでも買ったような大きくど派手な専用の箱と、同じくど派手な専用の袋に入れてくれる。
そりゃーそうよね。いくら上海の人がリッチだといっても、これは大きな買い物に違いない。と、お姉さんは、伝票を書いて束にしまったが、どう見ても30枚くらいはあった。こんなに高い商品で、今日の売り上げがすでに30台!さすが上海は違うねえ…。
中国では、市場などへ行くと値段は交渉で決まる。このやりとりが楽しいという人は多いが、私はどうも苦手。時間がうんとあった頃にはこれもコミュニケーションの一種だったんだろうけど、今となっては時間がかかりすぎる。それに、言い値を値切るということ自体、私が育った東京では失礼な行為とされており、おかげで、値段の交渉は自分にとって、あまり後味がよくない。
中国でも、価格が明示されている店では値段の交渉はできない。しかしそこはそれ、人本主義の国なので、例外はある。
上海にはお茶の葉を売るお店がたくさんある。前にも書いたとおり、この辺の特産は緑茶なのだが、ほかにもバラのつぼみや菊の花を干したものなども花茶として売られている。そのほか、肌がきれいになる効用があるセット、血行が良くなるセットなど、花と木の実の組み合わせを小袋に詰めて売っていたりする。
私はおみやげ用に工芸茶を買おうと思って店に入った。ちょうど韓国からの団体客が来ていて、熱心に選んでいる。私はその後ろでおとなしく待っていた。あまりに時間がかかるので、カウンターの売り子さんが私に、「どれにします」と聞いてくれたが、全然見えないし急いでいなかったので、「じゃ、ちょっとしたらまた来ますね」と言って店を出た。
小半時もして団体さんが帰ったあとで、ようやくカウンターの中を見ることができた。開いた緑茶の中からジャスミンの花がちょうちょのように何段も連なって現れるものとか、いろいろな花がいっせいに開いてお花畑になるようなものとか、凝りに凝っている。どうにも選びようがなかったので、「この一列、1個ずつください」と頼んだ。
お姉さんは1個ずつシャベルみたいなものですくって袋に詰めていき、最後まで来ると、袋の口がいっぱいになるまで足してくれた。そして
「待たせてごめんなさいね、これ、おまけしといたからね」
と渡してくれた。
ここは上海一の目抜き通り、南京路。歩行者天国になっており、入り口にはこんな銅像まで飾られている。
昔は、中国にあるモニュメントといったらツルハシとクワをもった労働者だったのに…。こんなプチブルの像なんか作ってけしからん、と思った方がいるかどうか。いやはや、今や中国の革命的な都市労働者の姿はこうあるべきなのであります。これが憧れなのかな~と思うと何だか微笑ましい。
中国の春節(旧正月)も近いこととて、食品を売る店はどこも混んでいた。茶館で出すようなお茶請けはたいだい売っている。こういうお店は定価で、たいてい秤売りである。どのくらい買えばいいのかわからなかったら、ちょっと待って他の人が買うのを見ていればいい。そうすると、値段とだいたいの量がわかる。で、すかさず、「さっきの人と同じくらい(跟他一样多 ゲンター イーヤン ドゥオ)」と頼めばいい。「このくらい」というジェスチャーも可。
南京路には老舗も軒を並べている。なかでも有名なのは「張小泉」という刃物店で、ここのはさみは高級ブランドである。店に入ると、なぜかカウンターの半分が「双立人牌(ゾーリンゲン)」で占められていたのは時代の趨勢というものだろうか。それでも上海らしく、ちゃんとカニ用品のセットも売られていたのは立派だ。
この通りには国営デパートもたくさんあり、独特な品揃えと陳列方法が楽しくていつも立ち寄っていたが、今では日本のデパートとそっくりになってしまい、面白くもなんともなかった。店員さんも商売熱心で、非常に居心地が悪い(すみません、でも本心です)。釣り銭を投げて寄越す、根性の座った店員さんたちはどこに行っちゃったんだろうと悲しく思っていたら、いましたいました、裏通りにはちゃーんと。ここは国営のお店。カウンターに座って新聞を読んでいる。昔は編み物してる人とか、独り本格ティータイムの人とかバラエティに富んでて面白かったのになー。そういう人を振り向かせることが出来て初めて、少しは中国語が出来るようになったわ!という心からの悦びが味わえたものだった…。
上海にはたくさんホテルがあるので、予約は基本的に必要ない。万一断られても、どこか紹介してもらえませんか、といえば、たいていは系列ホテルなどに電話を掛けてくれる。時間があるなら、しばらく散歩して好きなホテルを探してみるのもいい。
私が最初に中国に来たときは、ことはそう簡単ではなかった。租界でもないのに、外人用と中国人用のホテルは分けられていて、特に北方では、一般の中国人が外人用のホテルに泊まることはまず許されなかった(もちろん、抜け道はありましたけどね…)。逆もまた然りで、以前はウイグルやチベット、雲南など、(中国にとって)辺境地域に行くことが多かったので、中国人用の招待所(簡易宿泊所)に泊まろうとすると、いろいろ面倒だったものだ。
よくしたもので、田舎に行くと、帰郷する人と隣あわせにバスに乗ったりするので、到着したらくっついて行き、家に泊めてもらうこともよくあった。どういうわけか、たいていの家には折りたたみ式の簡易ベッドがあって(日本の客用ふとんのようなものかしら?)不意のお客さんでも困らないようになっている。
それがダメなら、軍人さんを探し出してお願いすると、たいていの宿では泊めてもらえた。軍の招待所に泊めてもらったことさえある。天安門事件より前だったから、軍人さんといえばそれなりに、田舎ではステータスがあったのだ。
今はどうなんだろう?
さて、そういう事情なので、今回も「H.M.ヴィラ」以外は予約をしなかった。いつも旅行は手荷物だけだし前の日に準備をしていたら、わにがあちこちの戸棚を開けている。
ちょっとちょっと。帰ってきてから空き巣が入ったかと思ってビックリするから、あちこち開けないでちょうだい。
「え、だって結婚証明書を探さないと…」
「いつの時代だと思ってるのよ。そんなもの要るわけないでしょ」
「だって夜中に公安が踏み込んできたらどうする?」
うっ…。そ、それは…。
はい、そうです。中国は夫婦別姓だから、名前を見ただけでは家族かどうかわからない。一家全員の名字が違うというスゴイ家もある(養子になって、祖父母の姓を継いだケースとか)。日本で生活してるとこのことを理解してもらうのにすごーく困ることがあるのだが、これが常識の中国でも、困ることはある。
たとえば、ときどきホテルには一斉手入れというのがあり、怪しい人を引っ張り込んでると思われちゃうと逮捕されることだってあるわけだ。そういうわけで、ホテル側でも証明書がない二人連れは泊めなかったりしたんですよ。
昔はね。
今はそんなことないんじゃないの?心配性のわにが書類を見つけて小躍りしているのを見て、私はちょっと呆れていた。ま、中国では、書類関係のことについては用心するに越したことはない。書類さえあれば誰も文句ないんだから。レシート、両替の領収書、チケットの半券、何でもとっておきましょう。万一の時には、紙切れ一枚があなたを救うこともあるのだ…(経験者は語る)。
何だか関係ない話がとても長くなったけど、その夜の宿を探して、気に入ったエリアを散策してみた。ほとんど公園みたいな敷地の門に「○湖賓館」と書いたホテルがあったりして気になったが、周りを日本語を書き並べたスナックが取り囲んでいたのでやめておいた。
そのうち、瑞金(ルイジン)二路に出た。ここにも一つクラシックスタイルのホテルがある。瑞金賓館といい、庭の中に2階建ての洋館が点在しているスタイルのホテルである。とりあえずフロントに行ってみると、古いタイプの部屋が空いていたのでここに決めた。
せっかくのクラシックホテルなんだけど、ここは部屋をシティホテル風に改装してしまっている。が、ファブリックはセンスがよく、ベランダも使えるので悪くはない。ひょっとすると、スイートクラスの部屋を頼めば、昔風の調度なのかもしれない。蒋介石が使ってた部屋もあると言うし…。
ここで感心したのはフロントの人の対応の良さである。道を聞こうとしたのだが、手の空いている人がいない。きょろきょろしていると、セーターを着た女性が「何かお困りですか」と聞いてきた。チェックインの時応対してくれた人で、私服に着替えてこれから帰宅するところなのだろう。急いでいるだろうに、親切にいろいろアドバイスしてくれた。
それが何なの…?とお思いになるかもしれませんが、昔の5時サッサな公務員的応対に比べると、雲泥の差である。ここはまだ国営(近々民営化するそうだが)と聞いたのでなおさら驚いた。それに、日本の接客は丁寧だけど、マニュアル通りな感じがすることもある。中国で親切なサービスを受けたなら、それは相手の好意から出たものなのだ。義務だからやっているのではない。そういうのはとても嬉しい。
レトロに再包装した客室のお茶。ちょっとしたことですが、こういうサービスも好き。↑
HPは
こちら。
さて、豫園商場とよばれる商業地域の真ん中には池があり、いくつか昔の建物が建っている。いずれも今はレストランとして使われている。
そのうちの一つは、小籠包(シャオロンバオ)で有名な南翔(ナンシャン)。ここのは全体的に固めで脂っこく、水餃子と小籠包の中間のような味がする。小籠包というと皮が柔らかく中はほとんどスープ、みたいなのに慣れていると、ほとんど別の食べ物のような気さえするのだが、この歯ごたえのよさが人気の秘訣なのか、いつも大行列ができている。
1階はテイクアウト。2階に上がると座って食べられるが、団体客で席が用意されていない限り、慣れない人は、混んでる日にはやめておいた方が無難だ。何しろすごい人気なので、席取りにも機敏さが要求される。もう食べ終わりそうかな?と思われるテーブルを一瞬で察知し、その人の後ろに立って待つ。お、食べ終わったかな?と思ったときにもう一せいろ運ばれて来たときの脱力感よ…。
上海も現代化したことだし、順にお呼び致します、という制度に変わってるかもしれないと思っていちおう覗いてみたが、ここは旧態依然であった。さすがに、食べてる人の椅子に足をかけて揺さぶってる人は、もういなかったけど…。
ということで向かいの風雅な「湖心亭」に行ってみた。ここは茶館で、昔から茶芸(中国茶のお手前)を見せてくれることで知られている。1階では茶芸の講習会が開かれている最中であった。2階に通してもらうと、池に面したテーブルは満席で、真ん中のテーブル席しか空いていない。
するとそこへ、細面で華奢な、いかにも上海っ子っぽい顔立ちの男の子が現れた。窓際の席が用意できたらご案内しますから、という。客を立たせておいたりはせず、真ん中のテーブルへメニューとおしぼりを出して、お好きなお茶を選んでいてくださいね、と去っていった。さすが国賓を接待する店だけあって、丁寧な接客ぶりである。
お茶の種類がいっぱいあって目移りする。普通のお茶の他に「工芸茶」というのもある。日本でも見かけるようになったが、茶葉と花を糸でしばって細工したもので、お湯を注ぐと美しい形に開く。
お湯を注ぐとこんな風にぽっかり浮かぶ
だんだん開いて
最後にはきれいな花が咲く。ちょっとグロテスクなところもいかにも中国らしくて好き。
ただ、工芸茶は独りで淹れても楽しめるので、ここは一つお手前を見せてもらおうと、「工夫茶」の方を注文する。工夫茶とは、下の写真のようにままごとのような茶器を使って淹れるお茶のこと。上手な人の手さばきは鮮やかで、いくら見ても飽きない。
上海近辺は、碧羅春(ぴろちゅん)など、緑茶の産地である。雨がそぼ降る湖のほとり、心静かに蓋椀(ふたつきのお茶碗)で緑茶を啜るの図、は憧れなのだが、工夫茶には合わない。工夫茶にするなら、青茶(ウーロン茶など半発酵のお茶)か岩茶だ。
お茶はもちろん、ここのお茶請けがまたとても良かった。豫園で売っている袋詰めのお茶請けを取り合わせてあった。ことに、このあたりで取れる小さなクルミをピリ辛に加工して作ったのが、青茶に合う。
ここの1階では、工芸茶を詰め合わせにして売っていた。日本円で1200円するので、相場からしたらかなり高いような気がしたが、綺麗な箱に入っているし、外で買っても値が張るものなので、おみやげにはちょうどよかったかもしれない。